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Arauchi Yu(荒内佑)
Sisei
Kakubarhythm
- Cat No: KAKU-135
- 2022-04-01
ceroのメイン・コンポーザー/鍵盤奏者arauchi yu(荒内佑)による2021年夏にリリースされた初ソロ作、ポスト・モダン・クラシカル室内楽、現代音楽、ミニマルミュージック、そして、Jディラ、カレン・カーペンター(カーペンターズ)にまでインスパイアされ制作されたという美しくも奇妙にして気品エレガントなチェンバー・ポップ意欲作にして傑作「Sisei」が遂にアナログ化!!2/23水発売。
Track List
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A1. Two Shadows
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A2. Arashi no mae ni tori wa
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A3. Petrichor
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A4. Whirlpool
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A5. Lovers
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B1. Clouds
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B2. Understory
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B3. Protector
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B4. Sidsei(of Taipei 1986)
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B5. Summerwind and Smoke
『Śisei』の音楽は、管弦楽器、ヴォーカル、ドラム、それにエレクトロニクス/サンプリングを主として成り立っている。荒内佑が作った初のソロ・アルバムに、「ceroの」という形容は当然のように付くのだろうが、ceroとはだいぶ離れたところにある音楽に聞こえることだろう。そもそも、アコースティック楽器のみによる室内楽のアルバムを作ろうとしていたというのだから、制作の発端からして異なるところに立っていた。しかしながら、『Śisei』に表現されたのは、荒内佑という音楽家が自身のルーツに真摯に向き合った音楽であり、長年暖めてきた音楽である。そして、ceroにおいて彼がこれまで作ってきた音楽はもちろんのこと、驚くほど多くの音楽の記憶が刻まれたアルバムである。
アルバムのラフ・ミックスを初めて聴かせてもらった時に、ラージ・アンサンブルやポスト・クラシカルと呼ばれる音楽と近いサウンドであることをまず感じたのだが、それだけでは収まらない音楽に聞こえた。ディテイルが、いろいろな音楽のことを想起させたからだ。その後、ミックスダウンを終えた完成版を聴き、本人に詳しい話も訊いて(インタビューとして後日公開予定だ)、『Śisei』というアルバムが織り成している世界が見えてきた。それは、複雑で精緻で洗練されている音楽であり、単純さや粗さが残ることを尊重する音楽でもある。美しい諧調の下には、非楽音や表には顕れない音も鳴っている。それらがレイヤーとなって、一つの音楽を構成していくのだが、そのインスピレーションの源にあったのは、Śisei=刺青である。
ナイジェリア出身で、十代でアメリカに移住し、現在はロサンゼルスで活動するビジュアル・アーティストのジデカ・アクーニーリ・クロスビー(Njideka Akunyili Crosby)は、家庭生活の断片を描いた絵画の中に、様々な写真の転写や雑誌の切り抜きのコラージュを加え、アクリル絵具や木炭、色鉛筆などで幾重にもイメージを重ねていく。彼女が描く褐色の肌の女性の腕にも、転写やコラージュが重ねられている。それは、まるで刺青のように見える。『Śisei』は、そのイメージから導かれた音楽である。ナイジェリアの記憶とアメリカ社会の現実とが複雑に交錯して描き出される彼女の絵画の手法そのものが、『Śisei』の音楽の成り立ちにも影響を及ぼしている。
アコースティック楽器とエレクトロニクス、室内楽とビートといった、よくある対比は、『Śisei』には存在しない。もちろんリードを取る楽器はあるのだが、すべての楽器が、ヴォーカルも含めて、主従の関係ではなく、空間の拡がりの中で鳴っている。だから、ドラムとベースが作るグルーヴの上に上モノとしてストリングスが乗るようなことはない。低域を強調することによってダイナミズムを表現することもない。サンプリングは、ただの効果音として使われるのではなく、楽器演奏のトリガーとなって、演奏そのものに積極的に関与することもある。それゆえ、『Śisei』の音楽は、鮮やかで深いグラデーションを描き出している。
数年に渡って曲作りを続けてきた荒内佑が、アルバムの制作に取りかかる段になって、パートナーとして選んだのは、ベーシスト/作曲家の千葉広樹だった。ジャズはもちろんのこと、クラシック、現代音楽からヒップホップやエレクトロニック・ミュージックにも精通している彼の参加によって、ヴォーカリストのジュリア・ショートリードやドラマーの渡健人(av4ln)が選ばれた。さらに、ceroで共演しているトロンボーン奏者のコーリー・キングもヴォーカリストとして招かれ、管弦楽器もceroのサポート・ミュージシャンを中心に選ばれた。こうして、限られた楽器とミュージシャンによって演奏された『Śisei』の音楽は、音数が決して多いわけではないのだが、豊かな響きを獲得している。その響きは、スコアによるコミュニケーションと録音に、適切かつ創造的に取り組める環境が成立していたことも感じさせる。
アルバムには全10曲が収められているが、何れもが興味深いプロセスを経て制作されている。詳細についてはインタビューに譲るが、『Śisei』を聴くことは、音楽史を振り返り、様々な音楽を再発見する愉しみにも導く。その音楽の旅は、録音された音声をメロディーの素材として使用した『Different Trains』のスティーヴ・ライヒから始まって、同じくアメリカのフィリップ・グラスやテリー・ライリー、イギリスのギャヴィン・ブライアーズやマイケル・ナイマンらのミニマル・ミュージックを振り返る。そして、ミニマル・ミュージックからディスコとポストパンクに波及したニューヨークのダウンタウン・シーン、特にアーサー・ラッセルの音楽に繋がっていく。一方では、クロード・ドビュッシーやモーリス・ラヴェルといった19世紀末から20世紀初頭のフランスの印象主義音楽もある。そこから、オリヴィエ・メシアンの現代音楽にも至る。また、渡邊琢磨によるコンボピアノや水谷浩章によるフォノライトといった2000年代の日本の音楽も浮き彫りとなっていく。現代ジャズやアフロ・ブラジル音楽はもちろんのこと、サンプリング・アーティストとしてのJ・ディラや、現代音楽への新たな扉を開いた90年代のエレクトロニカの再発見にも及ぶ。
クロスビーの絵画がそうであるように、『Śisei』の音楽は、異なるコンテクストを横断し、分類できない何かを積極的な表現へと変転させていく。誰もがアイデンティティを求めているが、それは一つに収斂されるものではなく、分散し、拡散することを怖れず、美しい表現に向かうべきだと、『Śisei』の音楽は静かに主張している。最後になったが、『Śisei』には、ピアニストとしての荒内佑を聴く愉しみもあると付け加えたい。そういうと本人は謙遜するだろうが、このアンサンブルにおいて、その響きには惹き付けられる特別なものがある。
原 雅明
アルバムのラフ・ミックスを初めて聴かせてもらった時に、ラージ・アンサンブルやポスト・クラシカルと呼ばれる音楽と近いサウンドであることをまず感じたのだが、それだけでは収まらない音楽に聞こえた。ディテイルが、いろいろな音楽のことを想起させたからだ。その後、ミックスダウンを終えた完成版を聴き、本人に詳しい話も訊いて(インタビューとして後日公開予定だ)、『Śisei』というアルバムが織り成している世界が見えてきた。それは、複雑で精緻で洗練されている音楽であり、単純さや粗さが残ることを尊重する音楽でもある。美しい諧調の下には、非楽音や表には顕れない音も鳴っている。それらがレイヤーとなって、一つの音楽を構成していくのだが、そのインスピレーションの源にあったのは、Śisei=刺青である。
ナイジェリア出身で、十代でアメリカに移住し、現在はロサンゼルスで活動するビジュアル・アーティストのジデカ・アクーニーリ・クロスビー(Njideka Akunyili Crosby)は、家庭生活の断片を描いた絵画の中に、様々な写真の転写や雑誌の切り抜きのコラージュを加え、アクリル絵具や木炭、色鉛筆などで幾重にもイメージを重ねていく。彼女が描く褐色の肌の女性の腕にも、転写やコラージュが重ねられている。それは、まるで刺青のように見える。『Śisei』は、そのイメージから導かれた音楽である。ナイジェリアの記憶とアメリカ社会の現実とが複雑に交錯して描き出される彼女の絵画の手法そのものが、『Śisei』の音楽の成り立ちにも影響を及ぼしている。
アコースティック楽器とエレクトロニクス、室内楽とビートといった、よくある対比は、『Śisei』には存在しない。もちろんリードを取る楽器はあるのだが、すべての楽器が、ヴォーカルも含めて、主従の関係ではなく、空間の拡がりの中で鳴っている。だから、ドラムとベースが作るグルーヴの上に上モノとしてストリングスが乗るようなことはない。低域を強調することによってダイナミズムを表現することもない。サンプリングは、ただの効果音として使われるのではなく、楽器演奏のトリガーとなって、演奏そのものに積極的に関与することもある。それゆえ、『Śisei』の音楽は、鮮やかで深いグラデーションを描き出している。
数年に渡って曲作りを続けてきた荒内佑が、アルバムの制作に取りかかる段になって、パートナーとして選んだのは、ベーシスト/作曲家の千葉広樹だった。ジャズはもちろんのこと、クラシック、現代音楽からヒップホップやエレクトロニック・ミュージックにも精通している彼の参加によって、ヴォーカリストのジュリア・ショートリードやドラマーの渡健人(av4ln)が選ばれた。さらに、ceroで共演しているトロンボーン奏者のコーリー・キングもヴォーカリストとして招かれ、管弦楽器もceroのサポート・ミュージシャンを中心に選ばれた。こうして、限られた楽器とミュージシャンによって演奏された『Śisei』の音楽は、音数が決して多いわけではないのだが、豊かな響きを獲得している。その響きは、スコアによるコミュニケーションと録音に、適切かつ創造的に取り組める環境が成立していたことも感じさせる。
アルバムには全10曲が収められているが、何れもが興味深いプロセスを経て制作されている。詳細についてはインタビューに譲るが、『Śisei』を聴くことは、音楽史を振り返り、様々な音楽を再発見する愉しみにも導く。その音楽の旅は、録音された音声をメロディーの素材として使用した『Different Trains』のスティーヴ・ライヒから始まって、同じくアメリカのフィリップ・グラスやテリー・ライリー、イギリスのギャヴィン・ブライアーズやマイケル・ナイマンらのミニマル・ミュージックを振り返る。そして、ミニマル・ミュージックからディスコとポストパンクに波及したニューヨークのダウンタウン・シーン、特にアーサー・ラッセルの音楽に繋がっていく。一方では、クロード・ドビュッシーやモーリス・ラヴェルといった19世紀末から20世紀初頭のフランスの印象主義音楽もある。そこから、オリヴィエ・メシアンの現代音楽にも至る。また、渡邊琢磨によるコンボピアノや水谷浩章によるフォノライトといった2000年代の日本の音楽も浮き彫りとなっていく。現代ジャズやアフロ・ブラジル音楽はもちろんのこと、サンプリング・アーティストとしてのJ・ディラや、現代音楽への新たな扉を開いた90年代のエレクトロニカの再発見にも及ぶ。
クロスビーの絵画がそうであるように、『Śisei』の音楽は、異なるコンテクストを横断し、分類できない何かを積極的な表現へと変転させていく。誰もがアイデンティティを求めているが、それは一つに収斂されるものではなく、分散し、拡散することを怖れず、美しい表現に向かうべきだと、『Śisei』の音楽は静かに主張している。最後になったが、『Śisei』には、ピアニストとしての荒内佑を聴く愉しみもあると付け加えたい。そういうと本人は謙遜するだろうが、このアンサンブルにおいて、その響きには惹き付けられる特別なものがある。
原 雅明
管弦楽器、ドラム、エレクトロニクス/サンプリング、ヴォーカルを中心として制作された、ポスト・クラシカル室内楽ミニマル・ミュージックでありながらもヒップホップやアヴァンポップ、ビートを感じさせてくれる紳士的奇妙なエロチック変態性も感じさせてくれる唯一無二のオリジナリティに満ち溢れる才気研ぎ澄まされた10曲を収録。厚みのあるヴァイナル、美しい溝、音圧音質も極上。歌詞カード封入。同時発売のアルバムを紐解くガイド本アートブック「Sisei book」(素晴らしい仕上がり)と共に是非ともどうぞ。 (コンピューマ)