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スマーフ男組
スマーフ男組の個性と発展
Lastrum
- Cat No: LACD0109
- updated:2017-02-28
【デッドストック】マジアレ太カヒRAW、WITH コンピューマ。 アキラ・ザ・マインド。スマーフ男組、2007年のデビュー・アルバム。
Track List
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A1. 1, 2 Smurph
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A2. 2, 3 Smurph
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A3. Smurph Rock Steady
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A4. ACR (A Combinate-Phuture Ride) Feat. ZEN-LA-ROCK
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A5. 3, 4 Smurph
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B1. @西小山 4pm, May 11th, 2002
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B2. 2 The Beat Y'all
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B3. Smurph Rock Steady (Majiaredonnappella)
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B4. 1, 2, 3 Are You Ready?
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C1. 遺伝子バップ
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C2. ロシア人の名前
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C3. Smurphin'
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C4. Compuma Speaks
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C5. Smurphies' Roll
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D1. Stop, Look, Listen
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D2. 1, 2, 3 Smurph Chant
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D3. ニヒリズム
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D4. Your Fantasy (ruff mix)
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D5. Stop, Look, Listen (inst)
スマーフ男組は、好事家の目を白黒させ、また、じゃぶじゃぶ泳がせた音響派ユニット、短命に終わったアステロイド・デザート・ソングス(以下ADS*1)の活動休止をもって97年に結成、その七夕の夜に、勢いで命名された。
いや、記述に正確を期すのであれば、ADSは97年の12月8日に表参道の喫茶店で活動休止の結論へといたるミーティングをもったのだから、結果からいえば、ADSとスマーフ男組は半年かそこいらのあいだ並存したことになる。
また、スマーフ男組のルーツをさらに辿ってみるなら、それは、95年の12月14日に下北沢SlitsでおこなわれたギグにADSのメンバーであった高井康生(Ahh! Folly Jet)が出演できなくなったことから急ごしらえに準備された、M+M Production(*2)という2人組による出しものの、そのユニークな冒険に端を発したものだったことを頭にいれておいてもいいだろう。
スマーフ男組というネーミングには当初、「男組」を「男闘呼組」で表記しようや、という案もあったのだが、それはさすがにやりすぎだとマジアレは思いとどまった。そのことにいま、私たちは胸を撫でおろすほかない。
メンバーは、マジアレ太カヒRAW(村松誉啓,MCとたくさん担当)、コンピューマ(松永耕一,ターンテーブルとたくさん担当)、アキラ・ザ・マインド(高橋啓,鍵盤とたくさん担当*3)の3人。
「男組」の二文字にははじめ、あたかもPファンク・モブのように入れかわり立ちかわりメンバーを迎えいれる不定型のあつまり、ということが企図されていたが、幸か不幸か、現在にいたるまでこの3人のならびは不動のものとなっている。
3人は集まるとたいがい、缶ビールを開けながら、互いのウエストにひっついてくるようになった贅肉について意見を交わし、ゲラゲラ笑いあう。
ずうっと、そうだ。
それでは、スマーフ男組の履歴から目だったところを拾いあげてみることにしよう。
彼らはまず97年、ムードマン主宰のパーティー「低音不敗」(@西麻布クラブ・ジャマイカ)にレギュラー出演、これがオルタナティヴなマイアミベースのコンピレーション盤『KILLED BY BASS』への参加につながっている。
そこに収められた4曲が、スマーフ男組の処女レコーディングの成果となった。
『KILLED BY BASS』では、“八百屋”(ローランドのTR-808リズム・マシーン)のキックのディケイを伸長したサイン波の手前の音色によるWeird(奇妙)な「トルコ行進曲」、コンピューマによる斬新な、ヒップホップとマイアミベースと音響派との、うたう折衷案(“Basscillotron”)、オールドスクール・ヒップホップへの直截なオマージュ(“Phase 2: Roxy”)、失敗作ですってんころりんこけてるけれども、Pファンク・オールスターズのグルーヴを援用してものにしようとし、おまけにアキラ・ザ・マインドが犬を思う存分、鍵盤上に転げまわらせてみたもの(“Hydrauric Pump”)などが聴かれる。
ついで98年、彼らは、TPfX(ヒップホップ最高会議の千葉氏)、脱線3、荏開津広らと「エレクトロ・サミット」(@恵比寿みるく他)を企画、その大幅な発展形ともなったエレクトロ・ヒップホップのコンピレーション盤『ILL-CENTRIK FUNK VOL. 1』に“E・L・E・C・T・R・O 〜スマーフ男組の808 MYTH APPROACH〜”(*4)を提供。
また、同アルバムのリリース・ツアーでは、伝説のラメルジーといっしょのステージを踏むこととなった。
ADS時代からひき続き、このころまでに築かれてきた交友、そこから連なり拡げられた環境が、いまもかわらず、スマーフ男組の活動のバックグラウンドとなっている(もちろん、デイタイムに大手外資系CDショップでバイヤーをつとめるコンピューマのつちかってきた、ロス・アプソン山辺圭司らとの長きにわたる親密さなどがそこにふくまれることも……これはいうにおよばないが)。
さらに時期を前後し、スマーフ男組は三宿WEBにて月1のレギュラー・パーティー「スマーフ渚をわたる」を立ちあげ(*5)、以降も、DJ、ライヴ、数枚のコンピレーション盤への参加を経て、彼らのアイドル、アフリカ・バンバータとの対談などもこなしつつ(『エレ・キング』誌上)、現在、2003年の彼らは、5年越しの(だから労作、としかいいようのない)デビュー・アルバム『スマーフ男組の個性と発展』(*6)をやっつけんと、まい進中である。
ところで、2000年以降、ここで触れるべきトピックの数が限られてくるのは、彼らが、分をわきまえず「とにかくアルバムづくりに精進するため」として幾多のオファーを断ってきたからである。これは事実だ。
が、しかし。そう書いておけばすこしは聞こえがいいだろうかと私に余計な気をまわさせる状況に彼らが甘んじているのも、これまた事実といって相違ない。彼らがかつての相方、Ahh! Folly Jetの美しいアルバム、2000年にリリースされた『Abandoned Songs From The Limbo』に後塵を拝すること3年あまり、だ(以前、私がマジアレに『Abandoned Songs… 』のテスト盤のCD-Rを聴かせてもらったときに、その盤面にマジアレの手書きで、赤いフエルトペンででかでかと“負けないぞ!”と書いてあったことを思い返すと苦笑を禁じえなくなってくる)。
けれども、ここでは強調しておかなければならない。とにかく彼らは、たしかにときどき弱音を吐くけれども(とくにマジアレは)、いつだって音楽に対し真摯な態度をたもとうとしてきた。安心してほしいのだが、私の知るかぎり、彼らはそうしてきたと思う。
彼らがせっせと水をくべて「育て育て!」と叱咤してきた果実は、デビュー・アルバム『スマーフ男組の個性と発展』の音楽にあますところなく収められ、聴きとれるものとなって実を結ぶことだろう。
いま、2003年8月末において、『スマーフ男組の個性と発展』のための曲はすくなくとも11曲、ミックスダウンを終えている。マジアレによれば、そのアルバムのなかで「ラスコーリニコフがコロッケを買いにいったりする」らしいが、私にはなんのことやらわからない、まあ、期待して待とうではないか。
スマーフ男組の個性である、どんぐりまなこのエレクトロ・ヒップホップらしきものは、聴き手を瞠目させ、微笑ませる。
いいかえれば、彼らのチップマンク声=マンチキン声=チビ声とリズム・マシーンへの偏愛はほかにはなかなか例をみないもので、だからその姿は、オールドスクール・エレクトロの快活さを現代のポップの地平へ押しあげようとやっきになっている働きものの青い小人たちのようでもある。
まあ、さんざ周囲をやきもきさせていることからもわかるよう、かなりぐうたらなところもある……マジアレの口ぐせは、なんということだろう、「ぐずぐずしてすみません」(*7)だ。あにはからんや! こののらくらものめ! が、しかし。
いずれにせよ、彼らはその代表曲“808 MYTH APPROACH”で唄っている、「俺たちゃスマーフ男組/寝ても覚めてもエレクトロ」! マジアレに、なにゆえエレクトロかと問うてみたことがある。彼はしばらく考えてから私の目を見て、つぎのようなことを話した。覚えているまんまに書き出してみよう。
「うんやっぱり、エレクトロ・ファンクはかなり楽天的な世界観というかな、とてもアホウな──でも、真実の欠片とみまがうようなものがころがってる、そうしたものを、僕たちにかなり突拍子もないかたちでだけれども、示してくれるからなんだと思う。それで首たけなんだと思う。
むしろ、突拍子もないからこそ、惹かれるのかもしれない。
いきすぎだから、なのかもしれない。ええっと、僕が最近ふだん部屋でなにを聴いてるか知ってるかい? セシル・テイラーだぜ!? でもね、だけどやっぱりね、ああいうやり方をもってしても、エレクトロって音楽にも、すごく強度があると思うんだ。
セシルのそれとは似ても似つかないけどもさ。
ヒップホップの人がしばしば“半端ない”っていうでしょ、だけどやっぱ、スマーフは半端なのね。でも、エレクトロは半端じゃない。
そのチーパカチーパカいってるようなフォルムを自在に手なずけてだよ、僕たちスマーフ男組はポップへと突きぬけるんだ! 808命! チープ上等! ブンチキパッドゥンチキブンパドゥン」。
おなじく、“808 MYTH APPROACH”。
「カザールのメガネはコンピューマ/そんでアキラはマインド,アキラ・ザ・マインド/ミー,マジック・アレックス,小市民オン・ザ・ビート/ミーは808のヴァーチュオーソ,スマーフはエレクトロのマエストロ/渋谷,恵比寿,新宿,東京,声がかかれば,すぐにエレクトロ」……。
そこにぺてんはない。
いんちきはない。
彼らの口をついてでる「ロックする」というオールドスクール・ヒップホップの常套句はそこで、クリシェでなくなる。
それは言葉遊び以上のものだ。
そして、彼らはリー・ペリーのスーパー・エイプのように帰ってくる。
コンピューマは、猫背をすこし伸ばして「いえい!」といいながらターンテーブルとエレクトロニックなイクイップメントの電源を入れるし、アキラ・ザ・マインドは「ニャハハ!」と笑いながら、しかし冷静に鍵盤を、張りきった弦を、確実にたたくだろう。
心配なのはやつだマジアレだ、が、彼もきっとどうということもなく、「イエース、イエース!」だとか「ジー・ベイビー!」と口ばしりつつはしゃいで、マイクのケーブルにぐるぐるぐるぐるからまって笑うだろう。
スマーフ男組は、あたらしいリリースをもって、あなたがたを、私を、ウキウキさせる。ロックさせる。楔をいれる。躍らせる。踊らせる。
?
この一文は、私のためにときどきまあまあなパスタづくりの腕をふるってくれる(*8)、つかず離れずのつきあいを長なが続けている友人のマジアレに、「プロフィールだ、忌憚のないところを書いてくれ」と依頼されたもので、それにしては書きあげたあとに彼から、「この表現はまずいな」、うんぬん、すいぶん水を差されもしたものなのだが、しかし私はがんとして、書いたものを譲らずにおいた。
そのことが、これを読まれる諸兄の、スマーフ男組をさらに理解する一助となったならさいわいに思う。
また、マジアレについての記述が多くなってしまったことについてはここでお詫びしておきたい。
text:スティーヴン・スキムミルク(脚注とも)
関係者から筆者への苦言(とか)
「ちょっとやりすぎたようね」
──メンバーの恋人のひとり
「スティーヴンのやつ、ほら、俺がチャーリー・パーカーとマイケル・ジャクソンと谷岡ヤスジとおなじ誕生日だってことだけはちゃんと書いとけっていっといたのに……」
──マジアレ太カヒRAW
「バーカ! こんな原稿、プレスリリースに使えるわけねーだろ。バーカバカ! ギャラなんて払うか!」
──現スマーフ男組A&R,スティーヴンとは旧知,小林弘幸氏
「僕たちはなにか大きなものを失いかけてるような気がします」
──スマーフ男組のビックリ・ビートBBS管理人,レイ氏
「労働するとき、あなたは心のなかにフルートをもっている。そして時のささやきが音楽となる。世界がいっしょに歌っているのに、石のように黙りこくっているのは誰の笛?」
──カリル・ギブラン
「真の自己とは、自身の外にあるものです──やたらに自分のなかにもぐりこんで聞き耳をたてるのではなくて、世界が自分にさしだしてくるものに気づくこと」
──ミヒャエル・エンデ
「あの、ちょっと情緒的にすぎるんじゃないですかね。こんなふうに書いてマジアレを甘やかすような人がいるから、スマーフはいつまでたってもアルバムが出ないんですわ。なんかもう堂々めぐりですわ」
──コンピューマ
「ニャハハ!」
──アキラ・ザ・マインド
*1 ADS
94年12月8日のパーティー「Asteroid Desert Songs」(@西麻布M. MATISTE)を主宰することより活動を開始。“Asteroid Desert Songs”とは当初、バンドもしくはユニットの名というよりも、パーティーそのもののこと、そしてそこでおこなわれた電子音響、ギター、ターンテーブル、打ち込みなどによる、いわゆるセッションのことを指して、そう呼ばれていた。メンバーは高井康生(Ahh! Folly Jet)、松永耕一、村松誉啓、のちに高橋啓を加えた4人。代表作はアルバム『'till your dog come to be feed』。ADSの音楽について記すことは、またべつの機会にゆずりたい。その紹介を過不足ないものにするには、費やすべき紙幅がおおきなものになりすぎるのだ。ADSを、その音楽を、ひと筋縄でどうにかできるものじゃない(後年、初期のセッションを振りかえって高井は述懐した……「ええっと。ジャーマン・マイアミ」!)。なんていうか、ADSにくらべたら、スマーフ男組なんぞ可愛いものなのだ。ただ、ADS結成時に高井、松永、村松の3人を結びつけた要因が、彼らがみな一様にヤン富田のアルバム『Music For Astro Age』に、まったくの掛け値なしでいかれていたことにあったという、そのことだけ、ここで触れておくことにしよう。
*2 M+M Production
がっかりしないでほしい、しかしそれはみなさんの推測のとおり、松永と村松だからMとM、という安直な命名のもとあつらえられたユニットだった。この日のパフォーマンスは、SONYの携帯DATレコーダーで克明に記録されていて、そのDATはいつか陽の目をみるだろうことを見越して、すでに、コンピューマによって、マイルス・デイヴィスのライヴ・レコーディングにおけるテオ・マセロばりの注意深い編集が加えられたものが、準備されている(タイトルは『M+ M Goes Bazerk!!!!! 』。コンピューマの、エディターとしてのクレジットは“ませろ松永”になるだろう)。そのレコーディングがなされた日、DJブースとSlitsの小さなステージで、マジアレとオシロトロン(現コンピューマ)は、文字どおり、吠えている。その音楽が、いくぶんのからかいをもふくめ、もしもヒップホップだと呼ばれるなら、これほどパンクなヒップホップは探しても、ほかにあまり例がないだろうと私には思われる。また、その日の短波ラジオとシンセサイザー、ターンテーブルに載せられた厳選されたレコード盤のぎざぎざしたのこぎり波などなどの咆哮が、ある種の騒々しい電子音楽といえるのなら、それは、これもパンク的なやり方でもって、AMMの『The Crypt』に肉迫していた。
思い出を……彼らならではのアネクドートをひとつ書いておこう。現在はスマーフ男組のA&Rであり、しばらく前にはAhh! Folly JetのA&Rでもあった小林弘幸は、その日、M+M Productionのパフォーマンスに先だってDJを務めていたのだが、マジアレは、小林のかけたジョン・コルトレーンの“フリー”なジャズ、“OM” に大喜びし、耳をふさごうか躊躇しているほかのお客たちをよそに、エアロビクスのダンサーさながらぴょんぴょん跳びはね、Slitsのフロアーを全速力でくるくると走って、はしゃぎまわった。彼の姿はそう、ぱちぱちはぜる火の粉そのもので、いまも私の目にくっきりと焼き付いている。私は正直、「この男の子はいったいどうしちゃったんだろう?」と困惑させられたものだけれど、そのときのことをなにゆえ私が忘れえないかといえば、彼の表情が心底しあわせに満ちあふれたものだったからである。私はだから、その光景を胸にしまって、その日から、半信半疑で、のちのスマーフ男組となる彼らの音楽に徐々にとり憑かれていくことになったのだ。
*3 アキラ・ザ・マインド
元アポロスのアキラ・ザ・マインドは結成後ほどなくしてADSにベース・プレイヤーとして招かれ、そののち、ときを経ずして正式加入している(95年8月に新宿P3ギャラリーでおこなわれたイヴェント「UNKNOWNMIX」における、ビーチ・ボーイズの“Fire”をカヴァーしたステージから参加。そこには彼も、ほかの3人とともに消防士のヘルメットを頭に載せて現われた)。アキラ・ザ・マインドはまた、DMBQのベーシスト渡辺龍一、マジアレとともに、オルタナティヴでファンキーなプログレッシヴ・ロック・トリオ、Ultra Freak Overeatのメンバーだった。加えていえば、アキラ・ザ・マインドは一時期、ナチュラル・カラミティーのサポート・メンバーを務めていたこともある。
*4 “E・L・E・C・T・R・O 〜スマーフ男組の808 MYTH APPROACH〜”
同曲はその表題にたがわず、スマーフ男組のキャリアをつうじ最もストレートにエレクトロ・ヒップホップへの愛情が注ぎ込まれ、なおかつそれが存分に表出したものとなっている。“E・L・E・C・T・R・O ”は、2 Live Crewの“Beat Box(Remix)”の冒頭をさらにリ・エディットしたものからはじまり(このぶぶんは、J-WAVEのジングルとして、いまだにつかわれている)、 Unknown DJの「I am a master of the 808!」をみずからの態度表明のために参照しつつ、TR-808の32分音符を多用した彼ら独自のビートになだれ込む(それは、曲調からすれば意外だが、ホワン・アトキンスの“Clear”のシンコペーションと似かよっている)。そして、ジェリービーンの“The Mexican”にあるような生演奏のボンゴ・ソロ、さらにみなさんもラメルジーの“Beat Bop”でご案内だろうパーカッション……つまりフレクサトーンの身震いをはさんでから、コンピューマとマジアレのいくぶん調子はずれのコーラスで歩幅をおおきく拡げる。ついで、アキラ・ザ・マインドのラテンふうなタッチのキーボード、クラフトワークのようにひんやりしたストリングス・シンセでその色彩を豊かにし(ここで変化するベースラインはインヴィジブル・スクラッチ・ピクルスが速まわししてかけたオリジナル・コンセプトの“Knowledge Me”)、さらに、ニュークリアスの“Jam On Revenge”をTR-808のフィルインに、また、フリースタイルの「I know, you’re feelin'!」をリズムのカウンターに引用しながら、コンピューマがサンプルしたマジアレのチビ声連打、おなじくコンピューマ自慢のヴォコーダー、 EMS System-2000のチャントをきっかけに、“Looking For The Perfect Beat”のアーサー・ベイカーのリヴァーヴの峡谷にビートを没入させ、いよいよリズムを沸騰しにかかる。そして、マジアレのどちらかといえばまだ珍しい部類にはいる種類のMC、16小節のラッピング(最後のほうで、ミスター・マジックのラジオ・ショウの常套句を翻案した「スマーフ,スマーフ,男,男,組,組!」が聴かれる)を経て、コンピューマの湯気のたつスクラッチ(“マルティグラへつれてって”と、ピーター・ウルフの“Lights Out”)を招きいれた“E・L・E・C・T・R・O ”は、熱でBPMを融解する寸前でなんとかもちこたえている、といった表情へと劇的な変化をとげる。ぶくぶく。やがて、幕ぎれにおいては、“Planet Rock”のボーナス・ビートの寸分たがわぬコピーのうえでコンピューマが愛器の短波ラジオをワルツさせ、聴き手を成層圏の外側へとはこびだす。……眺めはどうだい!?
以上。“E・L・E・C・T・R・O ”は、7分04秒のエレクトロ・ライディングだ。
この項、脚注としてはかなり長いものになってしまった。いい機会だから、整理しておくことにしよう。“E・L・E・C・T・R・O ”には上記にみてきたように直接、間接問わず列挙すれば、以下のA to Zの要素がトッピングされている。
□2 Live Crew“Beat Box(Remix)”(Luke Skywalker)A
□Unknown DJ“808 Beats”(Techno Hop)B
□Cybotron“Clear”(Fantasy)C
□Jellybean“The Mexican”(EMI)D
□Rammelzee Vs. K-Rob“Beat Bop”(Tartown/Profile)E
□Kraftwerk“Trans-Europe Express”もしくは“Tour De France”(EMI)F
□Original Concept“Knowledge Me”(Def Jam)G
□Newcleus“Jam On Revenge”(Sunny View)H
──ニュークリアスはいわずとしれた、マジアレのアイドル。マジアレのチビ声は、彼らにルーツの多くを負っている。
□Freestyle“It’s Automatic”(Music Specialists)I
□Mister Magic’s Rap Attack(WBLS-FM/NYのジングル)J
□Afrika Bambaataa & Soul Sonic Force“Looking For The Perfect Beat”(Tommy Boy)K
□Bob James“Take Me To The Mardi Gras”(CTI)L
──クロスフェイダーの切り方は、Davy DMXの“One For The Treble”(M)みたいだ。
□Peter Wolf“Lights Out”(EMI)N
──Michael Jonzun(O)のプロデュース作。
□Afrika Bambaataa & Soul Sonic Force“Planet Rock”(Tommy Boy)P
いうまでもないが、この曲で聴かれる軽やかな主旋律、シンセのメロディーはスマーフ……Peyoのほんとうのスマーフのアニメーション音楽からの借用であり(Q)、冒頭のエディットはラテン・ラスカルズ(R)、もしくはトニー・ガルシア(S)のそれに迫らんとしてシーケンスされたものだ。また、サブ・タイトルの“808 MYTH APPROACH”とは、サン・ラーと彼のアーケストラ(T)からのもじりである。さらにつけ加えれば、マジアレのチップマンク声(U)=マンチキン声=チビ声は、ニュークリアスに勝るとも劣らず、マイクロノーツ(Micronawts)の“Smurph Across The Surf”(V)から甚大な影響を受けたもの……つまり、マジアレのいいぶんによれば「もうなんてか、好きで好きで。この12インチ・レコードと僕の宝物、ビリー・ホリデイ(W)の都合38枚のアルバム、580曲以上とは、ちょっと天秤にかけられないくらいなんだ! ボリス・ヴィアン(X)はさ、エリントン(Y)の音楽と女の子がいれば、ほかにはなんもいらないっていったそうだけど、僕は、僕の恋人と、ビリー・ホリデイと、“Smurph Across The Surf”があれば、ほかになんもいらないんだよね、ワッハハ!」なんだそうだ。ハ! まあ、私には知ったこっちゃないがね……(Z/私……筆者スティーヴンの近影。そうさ、かなり強引なA to Zだね!)。
*5 スマーフ渚をわたる
98年8月から99 年6月までの全11回に終わっている。ゲストにはTPfX、脱線3、中原昌也、LATIN RAS KAZ、下北バンバータ、全裸ロックなどおなじみの面々のほか、荏開津広、二見裕志、コスモ星丸(イルドーザーの石黒)、KZA、パンプ横山(!)、ロマン・ポルシェ、意外なところでは橋本徹(サバービア)もDJで一夜を飾ったという記録が残されている。マジアレによれば、アルバム・リリース後に再開されるだろうレギュラー・パーティーは「スマーフ“また”渚をわたる」として構想されるはずだとのこと。
*6 スマーフ男組の個性と発展
このタイトルは、ギル・エヴァンスのアルバム『The Individualism Of Gil Evans』の邦題のもじり。また、同アルバムには副題に、“NUEVO TIEMPO”(こちらはアストル・ピアソラと彼のキンテートのアルバム・タイトルのもじり)とつけ加えられる予定もある。いずれにせよそれは、15曲前後が収録されたアルバムとなるだろう。
*7 ぐずぐずしてすみません!
マジアレは 9・11以降、しばらく人が変わってしまったのかもわからない。アフガンとイラクの戦争を経て、彼は人生の底を右往左往し、しまいにはがっくりと、一時期は頭を下げたままになってしまった。彼はあまりに、ほとんどカマリロ病院で静養したまんまのような期間、つまり猶予のような期間を必要としすぎていたようだ。しかし彼は最近、散歩することをなによりの楽しみにしている(そのことについては、バッファロー・ドーターのバイオグラフィー『303 Life』でも触れられている)。彼の生活そのものは、すぐさま、スマーフ男組にフィードバックされ、その音楽に敷衍されていくことだろう。彼のアウトプットはいま、へたくそな文章を書くことと、恋人にキスをすること、音楽をつくりだすことにしかないのだ。「『生活笑百科』のキダタローのテーマ曲って土曜の昼をうきうきさせんじゃん!? ああいう音楽をやりたいんだ!」──最近のマジアレはときおり理解に苦しむようなことを口走るが、私は、つとめて好意的にその言葉を受けとめようと思っている。
*8 マジアレのパスタ
こないだマジアレはきのこのクリーム・パスタを私にふるまってくれたが、悲しいことにその生クリームは脂肪分とそうでないものに完全に分離しており、いつもならよほどのことがないかぎり彼の料理をたいらげる私も音をあげてしまうほかなかった。つまり、彼のパスタは彼のDJとおなじで、失敗することもすくなからずある、ということだ。だが、私はこの場を借りて彼に強くいっておきたい。「なにを怖れることがあるものかい!」。
いや、記述に正確を期すのであれば、ADSは97年の12月8日に表参道の喫茶店で活動休止の結論へといたるミーティングをもったのだから、結果からいえば、ADSとスマーフ男組は半年かそこいらのあいだ並存したことになる。
また、スマーフ男組のルーツをさらに辿ってみるなら、それは、95年の12月14日に下北沢SlitsでおこなわれたギグにADSのメンバーであった高井康生(Ahh! Folly Jet)が出演できなくなったことから急ごしらえに準備された、M+M Production(*2)という2人組による出しものの、そのユニークな冒険に端を発したものだったことを頭にいれておいてもいいだろう。
スマーフ男組というネーミングには当初、「男組」を「男闘呼組」で表記しようや、という案もあったのだが、それはさすがにやりすぎだとマジアレは思いとどまった。そのことにいま、私たちは胸を撫でおろすほかない。
メンバーは、マジアレ太カヒRAW(村松誉啓,MCとたくさん担当)、コンピューマ(松永耕一,ターンテーブルとたくさん担当)、アキラ・ザ・マインド(高橋啓,鍵盤とたくさん担当*3)の3人。
「男組」の二文字にははじめ、あたかもPファンク・モブのように入れかわり立ちかわりメンバーを迎えいれる不定型のあつまり、ということが企図されていたが、幸か不幸か、現在にいたるまでこの3人のならびは不動のものとなっている。
3人は集まるとたいがい、缶ビールを開けながら、互いのウエストにひっついてくるようになった贅肉について意見を交わし、ゲラゲラ笑いあう。
ずうっと、そうだ。
それでは、スマーフ男組の履歴から目だったところを拾いあげてみることにしよう。
彼らはまず97年、ムードマン主宰のパーティー「低音不敗」(@西麻布クラブ・ジャマイカ)にレギュラー出演、これがオルタナティヴなマイアミベースのコンピレーション盤『KILLED BY BASS』への参加につながっている。
そこに収められた4曲が、スマーフ男組の処女レコーディングの成果となった。
『KILLED BY BASS』では、“八百屋”(ローランドのTR-808リズム・マシーン)のキックのディケイを伸長したサイン波の手前の音色によるWeird(奇妙)な「トルコ行進曲」、コンピューマによる斬新な、ヒップホップとマイアミベースと音響派との、うたう折衷案(“Basscillotron”)、オールドスクール・ヒップホップへの直截なオマージュ(“Phase 2: Roxy”)、失敗作ですってんころりんこけてるけれども、Pファンク・オールスターズのグルーヴを援用してものにしようとし、おまけにアキラ・ザ・マインドが犬を思う存分、鍵盤上に転げまわらせてみたもの(“Hydrauric Pump”)などが聴かれる。
ついで98年、彼らは、TPfX(ヒップホップ最高会議の千葉氏)、脱線3、荏開津広らと「エレクトロ・サミット」(@恵比寿みるく他)を企画、その大幅な発展形ともなったエレクトロ・ヒップホップのコンピレーション盤『ILL-CENTRIK FUNK VOL. 1』に“E・L・E・C・T・R・O 〜スマーフ男組の808 MYTH APPROACH〜”(*4)を提供。
また、同アルバムのリリース・ツアーでは、伝説のラメルジーといっしょのステージを踏むこととなった。
ADS時代からひき続き、このころまでに築かれてきた交友、そこから連なり拡げられた環境が、いまもかわらず、スマーフ男組の活動のバックグラウンドとなっている(もちろん、デイタイムに大手外資系CDショップでバイヤーをつとめるコンピューマのつちかってきた、ロス・アプソン山辺圭司らとの長きにわたる親密さなどがそこにふくまれることも……これはいうにおよばないが)。
さらに時期を前後し、スマーフ男組は三宿WEBにて月1のレギュラー・パーティー「スマーフ渚をわたる」を立ちあげ(*5)、以降も、DJ、ライヴ、数枚のコンピレーション盤への参加を経て、彼らのアイドル、アフリカ・バンバータとの対談などもこなしつつ(『エレ・キング』誌上)、現在、2003年の彼らは、5年越しの(だから労作、としかいいようのない)デビュー・アルバム『スマーフ男組の個性と発展』(*6)をやっつけんと、まい進中である。
ところで、2000年以降、ここで触れるべきトピックの数が限られてくるのは、彼らが、分をわきまえず「とにかくアルバムづくりに精進するため」として幾多のオファーを断ってきたからである。これは事実だ。
が、しかし。そう書いておけばすこしは聞こえがいいだろうかと私に余計な気をまわさせる状況に彼らが甘んじているのも、これまた事実といって相違ない。彼らがかつての相方、Ahh! Folly Jetの美しいアルバム、2000年にリリースされた『Abandoned Songs From The Limbo』に後塵を拝すること3年あまり、だ(以前、私がマジアレに『Abandoned Songs… 』のテスト盤のCD-Rを聴かせてもらったときに、その盤面にマジアレの手書きで、赤いフエルトペンででかでかと“負けないぞ!”と書いてあったことを思い返すと苦笑を禁じえなくなってくる)。
けれども、ここでは強調しておかなければならない。とにかく彼らは、たしかにときどき弱音を吐くけれども(とくにマジアレは)、いつだって音楽に対し真摯な態度をたもとうとしてきた。安心してほしいのだが、私の知るかぎり、彼らはそうしてきたと思う。
彼らがせっせと水をくべて「育て育て!」と叱咤してきた果実は、デビュー・アルバム『スマーフ男組の個性と発展』の音楽にあますところなく収められ、聴きとれるものとなって実を結ぶことだろう。
いま、2003年8月末において、『スマーフ男組の個性と発展』のための曲はすくなくとも11曲、ミックスダウンを終えている。マジアレによれば、そのアルバムのなかで「ラスコーリニコフがコロッケを買いにいったりする」らしいが、私にはなんのことやらわからない、まあ、期待して待とうではないか。
スマーフ男組の個性である、どんぐりまなこのエレクトロ・ヒップホップらしきものは、聴き手を瞠目させ、微笑ませる。
いいかえれば、彼らのチップマンク声=マンチキン声=チビ声とリズム・マシーンへの偏愛はほかにはなかなか例をみないもので、だからその姿は、オールドスクール・エレクトロの快活さを現代のポップの地平へ押しあげようとやっきになっている働きものの青い小人たちのようでもある。
まあ、さんざ周囲をやきもきさせていることからもわかるよう、かなりぐうたらなところもある……マジアレの口ぐせは、なんということだろう、「ぐずぐずしてすみません」(*7)だ。あにはからんや! こののらくらものめ! が、しかし。
いずれにせよ、彼らはその代表曲“808 MYTH APPROACH”で唄っている、「俺たちゃスマーフ男組/寝ても覚めてもエレクトロ」! マジアレに、なにゆえエレクトロかと問うてみたことがある。彼はしばらく考えてから私の目を見て、つぎのようなことを話した。覚えているまんまに書き出してみよう。
「うんやっぱり、エレクトロ・ファンクはかなり楽天的な世界観というかな、とてもアホウな──でも、真実の欠片とみまがうようなものがころがってる、そうしたものを、僕たちにかなり突拍子もないかたちでだけれども、示してくれるからなんだと思う。それで首たけなんだと思う。
むしろ、突拍子もないからこそ、惹かれるのかもしれない。
いきすぎだから、なのかもしれない。ええっと、僕が最近ふだん部屋でなにを聴いてるか知ってるかい? セシル・テイラーだぜ!? でもね、だけどやっぱりね、ああいうやり方をもってしても、エレクトロって音楽にも、すごく強度があると思うんだ。
セシルのそれとは似ても似つかないけどもさ。
ヒップホップの人がしばしば“半端ない”っていうでしょ、だけどやっぱ、スマーフは半端なのね。でも、エレクトロは半端じゃない。
そのチーパカチーパカいってるようなフォルムを自在に手なずけてだよ、僕たちスマーフ男組はポップへと突きぬけるんだ! 808命! チープ上等! ブンチキパッドゥンチキブンパドゥン」。
おなじく、“808 MYTH APPROACH”。
「カザールのメガネはコンピューマ/そんでアキラはマインド,アキラ・ザ・マインド/ミー,マジック・アレックス,小市民オン・ザ・ビート/ミーは808のヴァーチュオーソ,スマーフはエレクトロのマエストロ/渋谷,恵比寿,新宿,東京,声がかかれば,すぐにエレクトロ」……。
そこにぺてんはない。
いんちきはない。
彼らの口をついてでる「ロックする」というオールドスクール・ヒップホップの常套句はそこで、クリシェでなくなる。
それは言葉遊び以上のものだ。
そして、彼らはリー・ペリーのスーパー・エイプのように帰ってくる。
コンピューマは、猫背をすこし伸ばして「いえい!」といいながらターンテーブルとエレクトロニックなイクイップメントの電源を入れるし、アキラ・ザ・マインドは「ニャハハ!」と笑いながら、しかし冷静に鍵盤を、張りきった弦を、確実にたたくだろう。
心配なのはやつだマジアレだ、が、彼もきっとどうということもなく、「イエース、イエース!」だとか「ジー・ベイビー!」と口ばしりつつはしゃいで、マイクのケーブルにぐるぐるぐるぐるからまって笑うだろう。
スマーフ男組は、あたらしいリリースをもって、あなたがたを、私を、ウキウキさせる。ロックさせる。楔をいれる。躍らせる。踊らせる。
?
この一文は、私のためにときどきまあまあなパスタづくりの腕をふるってくれる(*8)、つかず離れずのつきあいを長なが続けている友人のマジアレに、「プロフィールだ、忌憚のないところを書いてくれ」と依頼されたもので、それにしては書きあげたあとに彼から、「この表現はまずいな」、うんぬん、すいぶん水を差されもしたものなのだが、しかし私はがんとして、書いたものを譲らずにおいた。
そのことが、これを読まれる諸兄の、スマーフ男組をさらに理解する一助となったならさいわいに思う。
また、マジアレについての記述が多くなってしまったことについてはここでお詫びしておきたい。
text:スティーヴン・スキムミルク(脚注とも)
関係者から筆者への苦言(とか)
「ちょっとやりすぎたようね」
──メンバーの恋人のひとり
「スティーヴンのやつ、ほら、俺がチャーリー・パーカーとマイケル・ジャクソンと谷岡ヤスジとおなじ誕生日だってことだけはちゃんと書いとけっていっといたのに……」
──マジアレ太カヒRAW
「バーカ! こんな原稿、プレスリリースに使えるわけねーだろ。バーカバカ! ギャラなんて払うか!」
──現スマーフ男組A&R,スティーヴンとは旧知,小林弘幸氏
「僕たちはなにか大きなものを失いかけてるような気がします」
──スマーフ男組のビックリ・ビートBBS管理人,レイ氏
「労働するとき、あなたは心のなかにフルートをもっている。そして時のささやきが音楽となる。世界がいっしょに歌っているのに、石のように黙りこくっているのは誰の笛?」
──カリル・ギブラン
「真の自己とは、自身の外にあるものです──やたらに自分のなかにもぐりこんで聞き耳をたてるのではなくて、世界が自分にさしだしてくるものに気づくこと」
──ミヒャエル・エンデ
「あの、ちょっと情緒的にすぎるんじゃないですかね。こんなふうに書いてマジアレを甘やかすような人がいるから、スマーフはいつまでたってもアルバムが出ないんですわ。なんかもう堂々めぐりですわ」
──コンピューマ
「ニャハハ!」
──アキラ・ザ・マインド
*1 ADS
94年12月8日のパーティー「Asteroid Desert Songs」(@西麻布M. MATISTE)を主宰することより活動を開始。“Asteroid Desert Songs”とは当初、バンドもしくはユニットの名というよりも、パーティーそのもののこと、そしてそこでおこなわれた電子音響、ギター、ターンテーブル、打ち込みなどによる、いわゆるセッションのことを指して、そう呼ばれていた。メンバーは高井康生(Ahh! Folly Jet)、松永耕一、村松誉啓、のちに高橋啓を加えた4人。代表作はアルバム『'till your dog come to be feed』。ADSの音楽について記すことは、またべつの機会にゆずりたい。その紹介を過不足ないものにするには、費やすべき紙幅がおおきなものになりすぎるのだ。ADSを、その音楽を、ひと筋縄でどうにかできるものじゃない(後年、初期のセッションを振りかえって高井は述懐した……「ええっと。ジャーマン・マイアミ」!)。なんていうか、ADSにくらべたら、スマーフ男組なんぞ可愛いものなのだ。ただ、ADS結成時に高井、松永、村松の3人を結びつけた要因が、彼らがみな一様にヤン富田のアルバム『Music For Astro Age』に、まったくの掛け値なしでいかれていたことにあったという、そのことだけ、ここで触れておくことにしよう。
*2 M+M Production
がっかりしないでほしい、しかしそれはみなさんの推測のとおり、松永と村松だからMとM、という安直な命名のもとあつらえられたユニットだった。この日のパフォーマンスは、SONYの携帯DATレコーダーで克明に記録されていて、そのDATはいつか陽の目をみるだろうことを見越して、すでに、コンピューマによって、マイルス・デイヴィスのライヴ・レコーディングにおけるテオ・マセロばりの注意深い編集が加えられたものが、準備されている(タイトルは『M+ M Goes Bazerk!!!!! 』。コンピューマの、エディターとしてのクレジットは“ませろ松永”になるだろう)。そのレコーディングがなされた日、DJブースとSlitsの小さなステージで、マジアレとオシロトロン(現コンピューマ)は、文字どおり、吠えている。その音楽が、いくぶんのからかいをもふくめ、もしもヒップホップだと呼ばれるなら、これほどパンクなヒップホップは探しても、ほかにあまり例がないだろうと私には思われる。また、その日の短波ラジオとシンセサイザー、ターンテーブルに載せられた厳選されたレコード盤のぎざぎざしたのこぎり波などなどの咆哮が、ある種の騒々しい電子音楽といえるのなら、それは、これもパンク的なやり方でもって、AMMの『The Crypt』に肉迫していた。
思い出を……彼らならではのアネクドートをひとつ書いておこう。現在はスマーフ男組のA&Rであり、しばらく前にはAhh! Folly JetのA&Rでもあった小林弘幸は、その日、M+M Productionのパフォーマンスに先だってDJを務めていたのだが、マジアレは、小林のかけたジョン・コルトレーンの“フリー”なジャズ、“OM” に大喜びし、耳をふさごうか躊躇しているほかのお客たちをよそに、エアロビクスのダンサーさながらぴょんぴょん跳びはね、Slitsのフロアーを全速力でくるくると走って、はしゃぎまわった。彼の姿はそう、ぱちぱちはぜる火の粉そのもので、いまも私の目にくっきりと焼き付いている。私は正直、「この男の子はいったいどうしちゃったんだろう?」と困惑させられたものだけれど、そのときのことをなにゆえ私が忘れえないかといえば、彼の表情が心底しあわせに満ちあふれたものだったからである。私はだから、その光景を胸にしまって、その日から、半信半疑で、のちのスマーフ男組となる彼らの音楽に徐々にとり憑かれていくことになったのだ。
*3 アキラ・ザ・マインド
元アポロスのアキラ・ザ・マインドは結成後ほどなくしてADSにベース・プレイヤーとして招かれ、そののち、ときを経ずして正式加入している(95年8月に新宿P3ギャラリーでおこなわれたイヴェント「UNKNOWNMIX」における、ビーチ・ボーイズの“Fire”をカヴァーしたステージから参加。そこには彼も、ほかの3人とともに消防士のヘルメットを頭に載せて現われた)。アキラ・ザ・マインドはまた、DMBQのベーシスト渡辺龍一、マジアレとともに、オルタナティヴでファンキーなプログレッシヴ・ロック・トリオ、Ultra Freak Overeatのメンバーだった。加えていえば、アキラ・ザ・マインドは一時期、ナチュラル・カラミティーのサポート・メンバーを務めていたこともある。
*4 “E・L・E・C・T・R・O 〜スマーフ男組の808 MYTH APPROACH〜”
同曲はその表題にたがわず、スマーフ男組のキャリアをつうじ最もストレートにエレクトロ・ヒップホップへの愛情が注ぎ込まれ、なおかつそれが存分に表出したものとなっている。“E・L・E・C・T・R・O ”は、2 Live Crewの“Beat Box(Remix)”の冒頭をさらにリ・エディットしたものからはじまり(このぶぶんは、J-WAVEのジングルとして、いまだにつかわれている)、 Unknown DJの「I am a master of the 808!」をみずからの態度表明のために参照しつつ、TR-808の32分音符を多用した彼ら独自のビートになだれ込む(それは、曲調からすれば意外だが、ホワン・アトキンスの“Clear”のシンコペーションと似かよっている)。そして、ジェリービーンの“The Mexican”にあるような生演奏のボンゴ・ソロ、さらにみなさんもラメルジーの“Beat Bop”でご案内だろうパーカッション……つまりフレクサトーンの身震いをはさんでから、コンピューマとマジアレのいくぶん調子はずれのコーラスで歩幅をおおきく拡げる。ついで、アキラ・ザ・マインドのラテンふうなタッチのキーボード、クラフトワークのようにひんやりしたストリングス・シンセでその色彩を豊かにし(ここで変化するベースラインはインヴィジブル・スクラッチ・ピクルスが速まわししてかけたオリジナル・コンセプトの“Knowledge Me”)、さらに、ニュークリアスの“Jam On Revenge”をTR-808のフィルインに、また、フリースタイルの「I know, you’re feelin'!」をリズムのカウンターに引用しながら、コンピューマがサンプルしたマジアレのチビ声連打、おなじくコンピューマ自慢のヴォコーダー、 EMS System-2000のチャントをきっかけに、“Looking For The Perfect Beat”のアーサー・ベイカーのリヴァーヴの峡谷にビートを没入させ、いよいよリズムを沸騰しにかかる。そして、マジアレのどちらかといえばまだ珍しい部類にはいる種類のMC、16小節のラッピング(最後のほうで、ミスター・マジックのラジオ・ショウの常套句を翻案した「スマーフ,スマーフ,男,男,組,組!」が聴かれる)を経て、コンピューマの湯気のたつスクラッチ(“マルティグラへつれてって”と、ピーター・ウルフの“Lights Out”)を招きいれた“E・L・E・C・T・R・O ”は、熱でBPMを融解する寸前でなんとかもちこたえている、といった表情へと劇的な変化をとげる。ぶくぶく。やがて、幕ぎれにおいては、“Planet Rock”のボーナス・ビートの寸分たがわぬコピーのうえでコンピューマが愛器の短波ラジオをワルツさせ、聴き手を成層圏の外側へとはこびだす。……眺めはどうだい!?
以上。“E・L・E・C・T・R・O ”は、7分04秒のエレクトロ・ライディングだ。
この項、脚注としてはかなり長いものになってしまった。いい機会だから、整理しておくことにしよう。“E・L・E・C・T・R・O ”には上記にみてきたように直接、間接問わず列挙すれば、以下のA to Zの要素がトッピングされている。
□2 Live Crew“Beat Box(Remix)”(Luke Skywalker)A
□Unknown DJ“808 Beats”(Techno Hop)B
□Cybotron“Clear”(Fantasy)C
□Jellybean“The Mexican”(EMI)D
□Rammelzee Vs. K-Rob“Beat Bop”(Tartown/Profile)E
□Kraftwerk“Trans-Europe Express”もしくは“Tour De France”(EMI)F
□Original Concept“Knowledge Me”(Def Jam)G
□Newcleus“Jam On Revenge”(Sunny View)H
──ニュークリアスはいわずとしれた、マジアレのアイドル。マジアレのチビ声は、彼らにルーツの多くを負っている。
□Freestyle“It’s Automatic”(Music Specialists)I
□Mister Magic’s Rap Attack(WBLS-FM/NYのジングル)J
□Afrika Bambaataa & Soul Sonic Force“Looking For The Perfect Beat”(Tommy Boy)K
□Bob James“Take Me To The Mardi Gras”(CTI)L
──クロスフェイダーの切り方は、Davy DMXの“One For The Treble”(M)みたいだ。
□Peter Wolf“Lights Out”(EMI)N
──Michael Jonzun(O)のプロデュース作。
□Afrika Bambaataa & Soul Sonic Force“Planet Rock”(Tommy Boy)P
いうまでもないが、この曲で聴かれる軽やかな主旋律、シンセのメロディーはスマーフ……Peyoのほんとうのスマーフのアニメーション音楽からの借用であり(Q)、冒頭のエディットはラテン・ラスカルズ(R)、もしくはトニー・ガルシア(S)のそれに迫らんとしてシーケンスされたものだ。また、サブ・タイトルの“808 MYTH APPROACH”とは、サン・ラーと彼のアーケストラ(T)からのもじりである。さらにつけ加えれば、マジアレのチップマンク声(U)=マンチキン声=チビ声は、ニュークリアスに勝るとも劣らず、マイクロノーツ(Micronawts)の“Smurph Across The Surf”(V)から甚大な影響を受けたもの……つまり、マジアレのいいぶんによれば「もうなんてか、好きで好きで。この12インチ・レコードと僕の宝物、ビリー・ホリデイ(W)の都合38枚のアルバム、580曲以上とは、ちょっと天秤にかけられないくらいなんだ! ボリス・ヴィアン(X)はさ、エリントン(Y)の音楽と女の子がいれば、ほかにはなんもいらないっていったそうだけど、僕は、僕の恋人と、ビリー・ホリデイと、“Smurph Across The Surf”があれば、ほかになんもいらないんだよね、ワッハハ!」なんだそうだ。ハ! まあ、私には知ったこっちゃないがね……(Z/私……筆者スティーヴンの近影。そうさ、かなり強引なA to Zだね!)。
*5 スマーフ渚をわたる
98年8月から99 年6月までの全11回に終わっている。ゲストにはTPfX、脱線3、中原昌也、LATIN RAS KAZ、下北バンバータ、全裸ロックなどおなじみの面々のほか、荏開津広、二見裕志、コスモ星丸(イルドーザーの石黒)、KZA、パンプ横山(!)、ロマン・ポルシェ、意外なところでは橋本徹(サバービア)もDJで一夜を飾ったという記録が残されている。マジアレによれば、アルバム・リリース後に再開されるだろうレギュラー・パーティーは「スマーフ“また”渚をわたる」として構想されるはずだとのこと。
*6 スマーフ男組の個性と発展
このタイトルは、ギル・エヴァンスのアルバム『The Individualism Of Gil Evans』の邦題のもじり。また、同アルバムには副題に、“NUEVO TIEMPO”(こちらはアストル・ピアソラと彼のキンテートのアルバム・タイトルのもじり)とつけ加えられる予定もある。いずれにせよそれは、15曲前後が収録されたアルバムとなるだろう。
*7 ぐずぐずしてすみません!
マジアレは 9・11以降、しばらく人が変わってしまったのかもわからない。アフガンとイラクの戦争を経て、彼は人生の底を右往左往し、しまいにはがっくりと、一時期は頭を下げたままになってしまった。彼はあまりに、ほとんどカマリロ病院で静養したまんまのような期間、つまり猶予のような期間を必要としすぎていたようだ。しかし彼は最近、散歩することをなによりの楽しみにしている(そのことについては、バッファロー・ドーターのバイオグラフィー『303 Life』でも触れられている)。彼の生活そのものは、すぐさま、スマーフ男組にフィードバックされ、その音楽に敷衍されていくことだろう。彼のアウトプットはいま、へたくそな文章を書くことと、恋人にキスをすること、音楽をつくりだすことにしかないのだ。「『生活笑百科』のキダタローのテーマ曲って土曜の昼をうきうきさせんじゃん!? ああいう音楽をやりたいんだ!」──最近のマジアレはときおり理解に苦しむようなことを口走るが、私は、つとめて好意的にその言葉を受けとめようと思っている。
*8 マジアレのパスタ
こないだマジアレはきのこのクリーム・パスタを私にふるまってくれたが、悲しいことにその生クリームは脂肪分とそうでないものに完全に分離しており、いつもならよほどのことがないかぎり彼の料理をたいらげる私も音をあげてしまうほかなかった。つまり、彼のパスタは彼のDJとおなじで、失敗することもすくなからずある、ということだ。だが、私はこの場を借りて彼に強くいっておきたい。「なにを怖れることがあるものかい!」。
スマーフ男組唯一のアルバム2007年「スマーフ男組の個性と発展」。90年代の伝説のアステロイド・デザート・ソングス(A.D.S.)解散から派生したスマーフ男組、97年に結成されヒップホップ/エレクトロに魅了された男たちが、熟成10年越し、真摯に取り組み熟成してリリースした数珠のサウンド。ZEN LA ROCKさんもゲスト参加。チビ声、シンセ、ラップ、言葉、サンプリング、スクラッチ、サウンド構築、このメンバーでしかありえなかった結晶です。 (サイトウ)