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MINAMIRYOHEI
A bOOk
A NiCE FORM
- Cat No.: ANF-004
- 2025-04-20
ANTIBODIES Collectiveへの参加や、Trading Museum COMME des GARÇONSや、兵庫県加西市Voidでの個展、インスタレーション、金沢PPTVとの音楽プロジェクト、ナマスコワンツなど美術家、音楽家としてとして縦横無尽に活動するユニークな才能ミナミリョウヘイのカセット作品。ストックしています。アートブックも同時入荷。レーベルからリンクに飛びます。(サイトウ)
美術家として活動するミナミリョウヘイの変名『民族M』と『DOBUTSU』名義のスプリット作品。 現象(フェノメノン)というものは、それがどんなに小さなものでも、途切れなく無限に続く鎖の繋ぎ目の一つであり、その鎖は過去から未来へと延び、一つの領域から別の領域へと移行する。ある時には目に見える物理現象という形で現れ、またある時には意識現象という形で視界から消え去る。そして複雑で広大な現象世界には全世界と結びついた、その無限の本質(ヌーメノン)が隠されている。 存在する現象があるということは必ずその源流のような流れの元となる”知性の対象としてだけ考えられる対象”である物自体の本質が潜んでいる。 美術家であるミナミはこの概念に深く興味を持ち、逃れることのできない見えざるヌーメノンと遊泳し、あえて安定しない表象で遊びモノクロで表出した絵画を2024年暮れ頃に制作していた。 同時期に、様々な友人の楽器や機材バグ録音、フィールドレコーディングしたデータなど自発的に生み出した音ではないものに不確定なフローを知覚し、これから起こる無限の現象への移行に絵画と同じような表象遊びを覚えたのが始まりで、それらのデータをカットアップしマイクを重ねたりドローイングのようにシンセを重ねた結果、ビートモノとコラージュモノとして表出し今回の『民族M』『DOBUTSU』ダブル名義のスプリット作品が生まれた。
Track List
石川が生んだ異能PPTVとのDJユニット”ナマスコワンツ”としても活動する表現者ミナミリョウヘイ。ラップやポエトリー、即興ヴォイスパフォーマンスを多重レイヤーでコラージュした音楽プロジェクトの一つである”民族M”として、自身が主宰を務める〈A NiCE FORM〉からアルバムを発表!ラップと定義するには独特すぎるフロウ。遊びながら説法、韻を踏みながら紡がれる言葉。エディット&コラージュした実験民謡トラックも合わさり想像上の郷愁が完成しています!推薦。 (Akie)
舞台芸術の視点の拡張を提唱してきたANTIBODIES Collectiveの参加やMC LAS×鎮座DOPENESSのプロデュースでもお馴染み、石川が生んだ異能PPTV、そしてミュージシャン・造形作家・映像作家、写真家、ダンサーなど多岐に活動するミナミリョウヘイがタッグを組んだDJユニット”ナマスコワンツ”のミックス作品が到着!細かくカット&ペースト、ループされる楽曲。アコースティック楽器やサンプルも混ぜ込み、ジャンルも質感も超越、直感的アイデアでDIY彫刻したミックス。これをミックスと呼ぶか、作曲と呼ぶかは貴方次第。今回も音数物凄いです。。 (Akie)
石川が生んだ異能PPTVとのDJユニット”ナマスコワンツ”としても活動する表現者ミナミリョウヘイ aka 民族Mが舵とるジャパニーズレフトフィールド一派〈A NiCE FORM〉新作はコンピレーションアルバム!上記他にもmidori yamada(the hatch)、くふきなど、日本各地・幅広いシーンで活動するアーティストが大集結。実験中の習作や機材トラブルによって生まれた作品、そしていつもと異なるベクトルで制作された奇作など、通常の作風とは一線を画す作品を厳選して編纂。アルバムタイトルが示す通り、個々の無意識の癖やバグ性が強く表れた楽曲ばかり。聴く者を予測不能な世界へと誘ってくれる異色コンピレーション! (Akie)
Track List
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美術家ミナミリョウヘイのこれまでの絵画・ドローイング・コラージュ・写真・インスタレーション・映像のあらゆる素材の断片を縦横無尽にカットアップ再編し印刷に落とし込んだド雑食MIXブック作品『MINAMIRYOHEI - A bOOk』堂々リリース!!!!!!!!
展示空間で、絵画・立体・映像・音・写真・灯体・既製品・ゴミなど多種多様な要素で空間構成した 「場」 に漂い言葉にすると劣化してしまうような「感覚する何かの質感」にフォーカスしたインスタレーション作品を発表してきたミナミ、それは「雰囲気の向こう側をくすぐられるような感覚」の探求であり、この”ある本”は印刷物という「場」にその表象の現象を表出させられないかという新たな試みである。